IME 特定非営利活動法人 医療教育研究所 代替医療情報 光本泰秀教授
音楽の謎

音楽療法(music therapy)は,補完代替医療の中でも重要な位置を占め,医療現場でその有用性についての認識が高まっている。我が国では資格認定音楽療法士の育成や音楽療法の発展のため日本音楽連盟(日野原重明理事長)が発足し,2001年には日本音楽療法学会と改名され現在に至っている。音楽の臨床応用には大きな期待が寄せられており,特に難病患者に対して心身の障害の回復,機能の維持改善,QOL(Quality of Life)の向上などに対して活用されている。音楽療法の臨床評価法についても盛んに研究が進められており,今後様々な分野で臨床効果に関するエビデンスが蓄積されていくもの思われる。一方,薬学分野にいる我々にとっては,やはり「音楽の効果を裏付けるような分子メカニズムはどうなっているのだろう?」と考えてしまう。普段から物(化合物)の薬理作用にこだわっている者としては,生体機能に影響を及ぼす限り作用点や作用メカニズムに興味が注がれる。ただ実験的に音楽の分子メカニズムを探ることが容易ではないことは想像できる。多くの実験研究報告があるわけではないが,音楽の抗不安効果と作用機序の一端を示唆する興味深い報告があるので紹介したい *1。

先ず,脳由来神経栄養因子(brain-derived neurotrophic factor, BDNF)は,特に脳で多く発現し,神経細胞の生存・分化や神経回路の形成などに必須な神経栄養因子の一つで,うつ病や統合失調症,発達障害,アルツハイマー病などの精神神経疾患との関連が示唆されている。このBDNF遺伝子の一塩基多型で出現頻度の高いVal66Metは,コドンの66番目のバリンがメチオニンに置換されており,脳の構造や記憶の変化と関連することが推測されていたが,臨床疾患との関連性については不明であった。Chenらは,Val66Metを有する変異マウス(BDNF(Met/Met))を作成し,同遺伝子を有するヒトに表れる特徴をマウスで再現することを試みた。この変異マウスにおいて,変異型BDNFの脳内発現量は正常であったが,神経細胞からの分泌は不十分であった。また,ストレスの多い環境に置くと,変異マウスの不安に伴う行動が増加していた *2 。

このBDNF(Met/Met)マウスに音楽[50~60dB(CDプレイヤーを用いた古典的な中国や西洋音楽)],白色雑音[50~60dB(ラジオのチャンネル間の音を利用)]を聞かせた。コントロールの条件として ~40dBの日常の環境音を聞かせ,3週間後に行動薬理学試験(オープンフィールドテスト及び高架式十字迷路)を行った。マウスの自発的な運動量には各グループ間で差は認められなかったが,驚くべきことに音楽を聞かせたグループのマウスでのみ不安様症状の改善が認められた。また音楽は,前頭皮質,海馬及び扁桃体においてBDNF mRNA及びそのタンパク質レベル並びにBDNFの受容体であるTrkB mRNAを増加させた。これらの結果は,このアレルを有した不安障害を持つ患者では,BDNFの発現レベルを増加させることが治療に重要であり,その一つのアプローチとして音楽療法が有効である可能性を示唆している。単なる音ではなく,音楽がどのようにして脳内における分子レベルの変化をもたらすのか興味深いところで今後の研究の発展に期待したい。

【引用文献】

*1. Li WJ, Yu H, Yang JM, Gao J, Jiang H, Feng M, Zhao YX, Chen ZY., 2010. Anxiolytic effect of music exposure on BDNF Met/Met transgenic mice. Brain Res.1347: 71-9.
*2.Chen ZY, Jing D, Bath KG, Ieraci A, Khan T, Siao CJ, Herrera DG, Toth M, Yang C, McEwen BS, Hempstead BL, Lee FS., 2006. Genetic variant BDNF (Val66Met) polymorphism alters anxiety-related behavior. Science. 314: 140-3.

2012/6/22