平成12年5月10日に当時の厚生省生活衛生局保健食品課より出された「セイヨウオトギリソウ含有食品に係る周知指導について」は,医薬品といわゆる食品(サプリメント)との相互作用に関して大きな懸念を抱くきっかけになった。セント・ジョーンズ・ワート,SJW(学名:Hypericum perforatum,和名:セイヨウオトギリソウ)は,主にヨーロッパから中央アジアにかけて分布している多年生植物であるが,これを含有する製品はダイエタリーサプリメントとして米国では人気商品の一つである。軽度から中度のうつ様症状及びいらいら,不眠に悩む更年期障害や自律神経失調症,ストレスの緩和などにも有用であるとされている。このSJW含有食品を摂取することにより,薬物代謝酵素であるチトクロームP450のサブタイプであるCYP3A4及びCYP1A2が誘導されることが知られている。医薬品との相互作用については,インジナビル(抗HIV薬),ジゴキシン(強心薬),シクロスポリン免疫抑制薬)の他,ワルファリン,主にCYP3A4で代謝される経口避妊薬,主にCYP1A2で代謝されるテオフィリンについて,SJW含有製品との併用により血中濃度の低下又は作用の減弱が見られた症例が報告されている。また抗うつ剤の中には,SJWを併用することにより効果が増強され,セロトニン症候群を引き起こすおそれがあるので注意が必要である。SJWは,ドイツでは医薬品としてうつ病に対して処方されており,2000年から3年間に小児から青年期うつ病患者に処方された数は,三環系抗うつ剤に匹敵し,選択的セロトニン取り込み阻害剤(SSRI)を上回っている。
このSJWの和名セイヨウオトギリソウにある”オトギリソウ”(弟切草)の名は,『鷹匠の兄が秘して口外していない薬草を使って鷹の傷を治していいたが,ライバルの鷹匠の娘と恋仲であった弟がその薬草の名を漏らしてしまったので,怒った兄が弟を切り殺してしまい,そのとき血潮が薬草に飛び散って花や葉の黒い斑点になった』という悲しくも哀れな物語に由来する。セイヨウオトギリソウと名付けられているSJWについても,同様に,この葉のヒペリシン(赤色色素)を含む黒い斑点は,洗礼者ヨハネがヘロデ王に首を切られた時に飛び散った血であると言い伝えられている。この逸話から欧州では6月24日の聖ヨハネの生誕の日(夏至の祭り)に黄色い鮮やかな花を付け始めたSJWを悪魔よけの願いを込めて家の入り口や室内に吊したりする習慣がある。謎めいた植物であるが,臨床効果や薬理作用についても不明な点が多々残されている。SJWがうつ病に対して有効であるとの効果のほとんどがドイツからである。2008年には,ドイツのミュンヘン補完医学研究センターのKlaus Lindeらが,5489人のうつ病患者を対象とした28件の臨床試験を解析した結果をCochrane Database of Systematic Reviews 誌に発表した。参考のため原文の抜粋(著者による結論)を下記に示した。
“The available evidence suggests that the hypericum extracts tested in the included trials a) are superior to placebo in patients with major depression; b) are similarly effective as standard antidepressants; c) and have fewer side effects than standard antidepressants. The association of country of origin and precision with effects sizes complicates the interpretation.”
ここには,大うつ病患者においての有効性は,プラセボ群より優れており,その効果は標準的な抗うつ剤と同程度であったと記されている。また副作用については,抗うつ剤より頻度は少なかったと結論付けている。ただ効果の程度が臨床試験の質に依存しているという問題点も指摘している。また一方で,2002年にJournal of American Medical Association誌に大うつ病患者に対してSJWの効果は認められなかったという結果を米国国立衛生試験所の研究グループが発表している。この試験は,中程度から重度の大うつ病と診断された340人の患者を対象に行われた,多施設無作為二重盲検プラセボ対照比較試験であるが,対照薬として用いた標準的抗うつ剤のセルトラリンに有効性が認められておらず,臨床試験の質そのものに疑問を持たざるを得ない。この植物の臨床効果の詳細(どの程度の症状に対してどれだけ効くのか)については,成分の規格や試験デザインを含め更に厳密な検討が必要であろう。
それでは,SJWの効果発現に関わるメカニズムについてはどうであろうか。これも不明な点が多々残されている。当初は,SSRIと同様にセロトニン再取り込み阻害作用を介して効果を発現していると考えられ,この植物に含まれるヒペリシンやヒペルフォリン(下記構造式参照)が,その活性成分であると推測されていた。しかしながら前者は,単一成分で動物モデルにおいて抗うつ効果が認められないことや中枢への移行性がほとんど無いことから,効果発現に寄与しているとは考えにくい。一方,ヒペルフォリンは,シナプトソーム(神経終末モデル)を用いた実験でセロトニン取り込み阻害作用の他ノルアドレナリンやドパミンの取り込み阻害作用も認められている。しかもγ-アミノ酪酸 (GABA)やグルタミン酸の取り込み阻害作用も認められており,これらの作用点がどのように効果発現に関わっているのかは,今後の研究に委ねられる。興味深いことにSJWの抗うつ効果発現や脳内細胞外モノアミン量の増加がヒペルフォリン含有の有無に依存しないとの報告もあり,他の含有成分(フラボノイドなど)が関与している可能性も否定できない。医薬品という単一化合物の「薬理作用を介した薬効の発現」という流れに慣れている薬剤師にとっては,いささかしっくりこないのが複合成分を含有した天然物であるが,その薬効には未知なる可能性が潜んでいることも少なくない。