IME 特定非営利活動法人 医療教育研究所 代替医療情報 光本泰秀教授
身体活動の効用とリスク

うつ病に対する薬物療法

 うつ病は抑うつ気分,興味・関心・喜びの喪失といった気分障害,気力・意欲・活動性の低下(精神運動制止),思考・認知障害などの症状を呈する精神疾患である。また精神症状の他に,睡眠障害,消化器系障害,全身倦怠感,身体各部の痛みなどの身体症状を伴うことが特徴である。
 現在のうつ病の治療は,基本的に薬物療法と休養が中心となっている。薬物治療には主に選択的セロトニン再取り込み阻害薬 (SSRI),セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬 (SNRI),三環系抗うつ薬,四環系抗うつ薬,新規治療薬として承認されたノルアドレナリン・セロトニン作動性抗うつ薬 (NaSSA) が使用されている。抗うつ薬の開発は,1950年代に抗結核薬であるイプロニアジドと抗精神病薬として開発されたイミプラミンに抗うつ作用があるという偶然の発見から始まった。また,抗うつ薬の開発とともに,その作用機序から病態解明が進められた。やがて,イプロニアジドはモノアミン酸化酵素阻害作用,イミプラミンはモノアミントランスポーター阻害作用を有することが明らかとなった。さらに,降圧薬として広く使われていたレセルピンにはモノアミン枯渇作用があり,この薬剤を使用することにより,うつ状態が引き起こされた。これらのことから,シナプス間隙でのモノアミン量の低下がうつ病を引き起こし,逆にその増加が抗うつ作用を発揮するというモノアミン仮説が1960年代に提唱された。しかし,シナプス間隙におけるモノアミン濃度は抗うつ薬投与により比較的短時間で上昇すると考えられるが,実際の臨床現場においては治療効果の発現に数週間かかるという矛盾点があった。そこで近年,抗うつ薬の新たな作用機序の一つとして海馬における神経新生の促進作用が注目を集め解明が進んでいる。

うつ病に対する非薬物療法

 うつ病の病態解明とともに,新規抗うつ薬の開発が盛んに行われているが,薬物治療を受けた患者の20-30%は抗うつ薬に対して抵抗性を示すことや,軽症のうつ病の場合では抗うつ薬の効果が得られにくいことから,非薬物療法の有用性が見直されている。また,抗うつ薬治療により症状が改善した場合でも,再発する頻度が高いことから,薬物量を漸減する際に非薬物療法を併用することや,抗うつ薬治療寛解後の再発予防にも非薬物療法が必要とされている。現在,非薬物治療として電気痙攣療法 (ECT),光療法,認知行動療法,経頭蓋磁気刺激 (TMS) などが用いられている。そして,運動療法もまた有効な治療アプローチとして期待さており,運動と抗うつ効果に関する臨床研究が海外では活発に行われている。Blumenthalらは,202例のうつ病患者において有酸素運動と抗うつ薬の治療効果を比較検討し,同程度の抗うつ効果があることを報告した。運動群にはトレッドミルを用いた有酸素運動を4ヶ月間負荷し,抗うつ薬治療群にはセルトラリン (SSRI) を同じ期間服用させた。その結果,精神疾患の診断基準として用いられるDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fourth Edition (DSM-Ⅳ) の大うつ病クライテリアに該当せず,うつ病の重症度の評価に用いられるHamilton Depression Rating Scale (HAM-D) のスコアが8点より下回る場合を寛解と定義したとき,運動群は45%,抗うつ薬治療群は47%の寛解率であった。また老齢のうつ病患者においても同様の比較試験を行っており,その後の追跡調査では,運動によりうつ様症状が改善した人は6ヵ月後の再発率が8%であったのに対して,抗うつ薬治療で改善した人では38%であった。また,Dimeoらは有酸素運動の方が抗うつ薬より即効性であることを報告した。また,抗うつ薬に対して抵抗性を示した患者にも回復が見られたことから,薬剤に抵抗性のうつ病に対する運動の有用性についても言及している。しかしながら,この精神疾患に対する臨床応用については,未だ議論の余地が残されている。その理由として,運動の抗うつ効果に関する基礎的・科学的な検証が未だ乏しいことが挙げられる。

運動がうつ病の原因?

 近年,運動が情動行動に与える影響,またその作用機序を解明するために,げっ歯類を用いた研究が盛んに行われている。これら基礎研究では,運動が必ずしも抗うつ効果を発揮するわけではなく,効果がみられない場合や,逆に不安様症状を惹起する作用を示す場合がある。その原因の一つとして運動条件の違いが考えられる。運動の方法は大きく自発的運動 (voluntary exercise) と強制運動 (forced exercise) の2つに分けられる。また,運動期間も1週間から8週間と様々であり,強制運動の場合にはさらに運動強度なども異なってくる。ヒトにおいても適度な運動が身体に良い影響をもたらすことが知られている一方,運動も強度の違いによって身体に悪影響をもたらすことが報告されている。過度な運動負荷を適切な休養をとらずに行うことで,オーバートレーニングシンドロームに陥ることがわかっている。オーバートレーニングシンドロームの症状はうつ病の症状と類似点が多いため,VanHeestらは病態メカニズムも類似している可能性を示唆している。また,脳の細胞膜は酸化されやすい不飽和脂肪酸を多く含むこと,脳内には抗酸化酵素が少ないこと,ドパミンやノルアドレナリンなど自動酸化を引き起こす神経伝達物質が多いことなどから,脳は他の組織よりも酸化障害を受けやすいと言われている。マウスを用いた研究において,激しい運動が脳に酸化障害を引き起こすとともに,認知機能の低下を招くという報告がある一方で,否定的な報告もある。さらに,過度な運動は脳のミトコンドリア機能障害を引き起こし,脳由来神経栄養因子のタンパク質量を低下させることも報告されている。
 これらのことは運動が有用な代替医療アプローチであることは間違いないが,誤った方法を取り入れると危険なのは薬と同じようである。